ニルス・ペッター・モルヴェル 『ER』国内盤ライナーノート
liner notes for Japanese edition CD
Nils Petter Molvær (tp, key, samaples, etc.)
Eivind Aarset (g)
Rune Arnesen (b, per)
Pål “Strangefruit” Nyhus (ds, per)
Jan Bang (samples)
Sidsel Endresen (vo)
Elin Rosseland (vo)
Ingebrigt Flaten (b)
Knut Sævik (programming)
Erik Honore (key)
Magne Furuholmen (p)
Helge Norbakken (per)
Reidar Skår (programming)
1. Hover (Molvær)
2. Softer (Molvær)
3. Water (Molvær)
4. Only These Things Count (Molvær / lyrics by Endresen)
5. Darker (Molvær)
6. Feeder (Molvær / Bang)
7. Dancer (Molvær / Nyhus / Sævik / Arnesen)
『ER』というタイトルは何だろう-恐らくこのアルバムに目をとめる誰もが最初に考えることであり、その時点で既にニルス・ペッター・モルヴェル(より正確にはニルス・ペッテル・モルヴァル、以下NPM)の思惑どおりなのかもしれない。収録された曲は8曲、アルバム中ほどの1曲を除いて全てタイトルには「~er」という語が並ぶ。一見似たように見える短い単語は、「~する人/物」の語尾だったり、形容詞の比較級だったり、また単に単語の1部だったりとそれぞれ異なる。もうひとまわり視野を広げてみると、リミックス・アルバムを除くNPMのこれまでのアルバムタイトルも同様であることに気付く。『Khmer』(1997; ECM)と『Solid Ether』(2000; ECM)の後、『NP3』(2002; Sula / Universal)を挟み、ライブ・アルバム『Streamer』(2004; MWP / Sula)、そしてこの『ER』。尚、NPMの母国語であるノルウェー語では、”er” は英語でのbe動詞の現在形am / is / are全てに相当する。
この「現在形」のアルバムにはいつものメンバーに加え、初参加となるミュージシャンも多く名前を連ねており、その顔ぶれは興味深い。
ギタリストのアイヴィン・オールセットは変わりなくここにいるように見えるが、実際は『NP3』のリリース後一度バンドを離れている。ちょうどJazzlandレーベルから3作目のリーダー作『コネクテッド』(2004)を発表した前後に当たり、自身のプロジェクトに専念するため、というのがその理由だったが、やはりNPMには欠かせない存在であるというのは双方ともに認識しているに違いない。また、NPMの音楽の特徴の1つはそのグルーヴ感であり、レギュラードラマーのリューネ・アーネセンが担う部分も大きい。
3人目のレギュラーメンバーであるDJストレンジフルートことポール・ニーフスは、アルバムもさることながらライブで抜群のセンスを見せており、Jazzlandから間もなくリリースされるソロ作『The Mungolian Jet Set』も注目される。このNPMバンドと被ることを避けてだろうか、NPMとアイヴィン・オールセットの参加はないものの、DJの作品だというのに楽器奏者が多く参加している。
その『Mungolian』プロジェクトとこの『ER』とはかなりのメンバーが重複する。まずベーシストのインゲブリクト・フラーテン。今やノルウェーのみならず北欧を代表するプレイヤーであり、AtomicのメンバーとしてJazzlandから3作のリリースがある他、満員となった来日公演の記憶も新しい。ここではゆったりした中でもいかにも彼らしいフレーズを弾いている。
もう1人はNPMの諸作をはじめ、多くのノルウェーの「新しい音」を手がけるエンジニアでありキーボード奏者でもあるライダール・スコール。エレクトリックな音を得意とし、あくまでニュートラルにミュージシャンの持ち味を記録できる影の役者だ。
3人目はエレクトロニカ系のプロデューサー/アーティストとして知られるクヌート・セヴィーク。NPMとの接点としては、今年リリースされたリミックス・アルバム『リメイクス』に参加したノルウェーのアーティストSide Brokのプロデュース、さらにポール・ニーフスと共に手がけた『Streamer』の1曲のリミックスがある。様々なプロジェクトに関わりリリースも多いが、Gork名義でのソロ作『Fishing For Snirks』(2003; Planet Noise)はこの『ER』のヒントとなる重要な作品だ。『ER』の、特にビートの効いたトラックにフレッシュなものを感じ取るとすれば、それは彼によるところが大きい。
このアルバムには2人のノルウェー人女性シンガーが参加している。シッツェル・エンドレーセンはNPMの作品では『NP3』にも参加していたが、それより『Solid Ether』での静かな歌が印象的だ。彼女がその唯一無二の個性を披露する2曲は本作を代表するトラックとなっている。ワンポイントで彼女を起用するノルウェーのアーティストは数多いが、皆その強い個性の使い方をよく心得ており、彼女はある種ノルウェー音楽のシンボル的な存在であるかのようだ。一方のエーリン・ロッセランは囁くような声のみの参加だが、ヴィブラフォンとダブルベースとのトリオという変則編成による最新作『Moment』(2004; NOR-CD)を聴けば、ノルウェーにしては珍しいくらいストレートな実力派ボーカリストであることがわかる。尚、この2人は、もう1人ノルウェーを代表するシンガーであるエルビェルグ・ラクネスと組んだESEというユニットで実験的なヴォイスパフォーマンス作をJazzlandに残している。
最近のNPMグループのレギュラーメンバーであるヤン・バング、それに彼の相棒であるエリック・オノレの活動は、地味ともいえるが確実にノルウェーの現在を捉えている。バングはライブサンプリングやエレクトロニクスを使うミュージシャン、オノレはエンジニアとしての活動が多く、その他にも一時期Pan Mというレーベルを興し、彼らの得意とする万華鏡のようなサウンドを発信したかと思えば、2004年6月には本拠地であるノルウェー南部の街クリスティアンサンでPunktというフェスティバルを主催し、NPMやこのアルバムに参加しているJazzland勢に加えRune Grammofon勢、それに国外からもジョン・ハッセルやダファー・ヨーゼフといった「この周辺」のアーティスト達を大集結させている。
パーカッショニスト/ドラマーのヘルゲ・ノルバッケンはNPMのアルバムへは初参加となる。落ち着いたどっしりしたビート感の持ち主で、極北の民族サーメのシンガー、マリ・ボイネやECMからアルバムをリリースしたばかりのノルウェー人キーボード奏者ヨン・バルケのパーカッションプロジェクトBatagraf、さらにポルトガルのシンガー、マリア・ジョアンのバンドのレギュラーメンバーでもある。
そしてもう1人、非常に面白いゲスト参加がアコースティックピアノを弾くマグネ・フルホルメンだ。ノルウェーのポップグループa-haのメンバー(ギタリスト)としてちょうどこちらも新作『Celice』のリリースを控えている。NPMとのこれまでの主だったコラボレーションは2つ。1つは2004年2月、ノルウェー・リレハンメルで行われたフェスティバルでの共演だ。凍てつく雪山の屋外ステージには氷のオブジェが立ち並び、NPMらしい音楽が流れる中、チェーンソーを持ったパフォーマーが次々に氷柱を切り裂き、光る1本を探し当てるという近未来的な竹取物語さながらの演出である。もう1つはフルホルメンのソロ作『Past Perfect Future Tens』(2004; Universal) の冒頭のトラックへのNPMのゲスト参加だ。
NPMは、10年前にまだ20代前半だったポール・ニーフスを見出しツアーメンバーに加え、今作ではクヌート・セヴィークを大きくフィーチャーするなど、若い才能の起用にも積極的である。この『ER』では、それぞれ異なった個性をもつクリエイターをそれぞれの最も得意とするポジションに配置したという。「NPMらしい音」は意外にも複数のメンバーの個性によって作られている。
前述のフェスティバルでのパフォーマンスのように、ここしばらくの間にNPMはヴィジュアルの世界へ急接近している。彼自身の興味ももちろんだが、ヴィジュアルの世界から彼の音が必要とされている、ということでもある。映画や舞台などのサウンドトラックをいくつも手がけ、ステージでは後ろに抽象的な映像を流すNPMである。そのトランペットの音色と音楽がイマジネイティブであり、色彩を持ち、聴き手がそれぞれのイメージを描くことができる彼の音楽ならではだ。さらに彼の映像とのコラボレーションはノルウェー国内にとどまらない。ドイツ、フランス、カナダ…彼がワールドミュージックへの興味を語るのと同様、彼の音楽もまたボーダレスに受け入れられている。彼の音楽が想起させるものが北方の情景であることが多いことは、もしかすると情報過多によるリスナー側の先入観によるものかもしれないとふと考えさせられる。
バンドのメンバーが若干入れ替わるのと時を同じくして、NPMが新しく取り組んだのがソロパフォーマンスである。2004年にはノルウェー国立コンサート協会のサポートでノルウェー各地やヨーロッパをツアーしている。ステージに上がるのはNPMのみという完全なソロ、手元と足元にエレクトロニクスのセットを置き、予めサンプリングされた音やループと自身のトランペットを重ねる。ライティングとビデオによる視覚的なサポートがある点はバンドでのパフォーマンスと類似している。そのソロパフォーマンスの成果が5曲目の「Sober」で、瞑想的なサウンドは彼の新境地である。
ジャズミュージシャンとしてそのキャリアをスタートさせたNPMの音楽は、今では彼の名前が、例えば「NPMのような」などと使われることも少なくないように、既に1つの確立された音楽である。世界中の多くのファンは、ジャズから入った人、ECMから入った人、テクノやクラブ系から入った人など様々だろう。彼の音楽は、もはやどのジャンルに分類されるか議論される段階にはない。さらにこの『ER』を聴けば、彼が確立された自らの音楽を保持しつつさらに一歩進めるという非常に難しいことを成し遂げていることがわかるだろう。
ところで、この音楽を聴く人は、その音を作り出しているNPMをどんな人だと想像するだろうか。1960年、ノルウェーの西側、フィヨルドの小さな島スーラの出身。彼を一躍有名にしたECMを離れた後、その出身地の名前をとって自らのレーベルSulaを設立、『NP3』以降の作品は全てこのレーベルからリリースしている。そのレーベル設立のいきさつを語るNPMは、もちろん自分のやりたいことを自由にやるために、という理由をまず挙げ、続けて、もし万一僕に何かあった時に家族に全てがいくように、とむしろ後ろを強調した。現代的であり、光よりはその陰、暖かさよりむしろ冷たさを感じる音楽に隠された素顔は、家族をこよなく愛する父親であり、ユーモアを織り交ぜ意外なほど饒舌に話す一人のノルウェー人である。
2005-11-02 / ユニバーサル ジャズ&クラシックス / UCCM-1086 / 原盤 Sula Records; Universal Music, 2005